出産の思い出

下の子が5歳になり、あっという間だったなーと思いつつ、

出産の頃を思い出したので、ちょっと書いてみようかと思います。

上の子の出産は、約7年前。

妊娠6、7か月くらいから、朝起きると顔がむくんでパンパン、

足もパンパンで、足首が無くなるくらいに。。

まだその時は、働いていたので、むくんだ顔にマスクをしてでかけ、

会社に着くころに顔が戻るという感じでした。

妊娠8か月辺りで体重もぐんと増え、

でも、無性にマックのポテト食べたい、、、けど体重が気になる、、、という

日々でした。


仕事のストレスもあったので、産休に入るのをとても

楽しにみにしていたのを覚えています。



会社から休みをもらって8か月健診に行ったときに、

血圧が180くらいに。。体重も怒られ、

妊娠中毒症(妊娠高血圧)と言われる。

で、近所の産婦人科ではもう手に負えないとのことで、

救急車でそのまま日赤医療センターへ。



妊娠中の血圧とか、そこまで意識していなかった私は、

恐ろしくなってもう大号泣。

ただでさえ、むくんでいる顔に、号泣で、更に目がパンパンで、

お岩さん状態。


夫や、両親、義父母もかけつけて、大変でした。

お腹の中の子供は、以前より成長が止まり、

それが何よりも心配でした。

自分が食事のコントロールをきちんとしなかったせいだと

やるせなくなりました。

その時妊娠29週、まだお腹の中の子供は呼吸器官を作っている期間とのことで、

「できるだけ、長くお母さんのお腹のなかでがんばってもらいましょう」との

先生のお言葉。


そこからしばらく入院になるのですが、高血圧には光がよくないとのことで、

電気禁止、窓はブラインド、携帯とかも禁止、しかも個室で外に出てはいけない、、

という薄暗い部屋で監禁状態で過ごすことになりました。


それまで、毎日仕事でいろんな人と話していた日から、

一変、看護師さんかお医者さんと少し話すだけの日々。

夫も仕事があるので、しょっちゅうは来れない。

まぁ、発狂しそうでしたww

狂いそうな日々の中、1か月半くらいが過ぎて、

血圧と尿蛋白などなど母体の限界まで待ってから、

子供をもう出しましょうとなりました。



自然分娩も挑戦させてくれたのですが、

まだ34週、子宮口も全然開かず、1か月以上ベッドで過ごした私は、

筋力もほぼなく、耐え切れず、帝王切開で出産になりました。



生まれてきた子は1750g、ガリガリでした。

私の身体のせいで申し訳ないという思いと、

生まれてきてくれてよかったという思いで、

涙が止まりませんでした。



なかなか大変な出産でしたが、

その子があっという間に7歳。

元気に育ってくれればそれでいい!!と思っていたのが、

賢くなって欲しいとか、運動神経よくなって欲しいとか、

だんだん欲が出てきていますww

喉元過ぎれば熱さを忘れますねww




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